安全性を確認するための作業

建物を建造する際に、絶対に許可を取らなければならないものが『建築確認』だ。これ無くして施工に掛かることは許されませんし、勝手にすればその分部だけ建築法違反に抵触してしまいます。さすがに企業側がそこまでのリスクを背負うことはないでしょう、だからこそ許可をとってしまえば後はこっちのものといって強気に出られるのかもしれません。ただ文京区の、ル・サンク小石川後楽園を巡っての問題では、安全性が確認されたから許可が下りた、だが後から調べてみると不備があったとして一度取り消されている。

どっちに転ぶかも分からない状況下で、どうしてこうも意見が二転三転したのか。騒動を中心に考えても、建築確認の取り消しが完成間近のマンションで下されるなど異例の事態と言われている。これは建築主が住民の理解を得るよりも区を味方にして外堀を埋めた事が原因といえる。結果、住民の請求が通りにくい状況が生まれてしまい、強引に工事を推し進めて完売した直後に、取り消しが執行されて全てがオジャンとなってしまった。

きちんと理解を得てから進めればよかったのではと思うが、そこは色々と利権が絡んでいたのでしょう。当たり前のことをしなかった分だけ焦っていたのがよく分かります。建築確認という工程で一度ダメと言われているのに、どうしてまた許可が通ってしまったのか。安全に建てるために必要は検査にも色々としがらみがあるのか、その工程を少し見てみよう。

建築確認で必要なもの

建築確認で重要なのは、3つの段階から得られる合格証を受け取らなくては次の段階に進む事が出来ません。計画図書を提出しての一段階目、建築に着工してから半ばの工程で確認する、中間検査という二段階目、そして完成した後に最終的に確認する三段階目と、この3つの検査を合格していなければ建物の使用は一切認められないことになっています。

ル・サンク小石川後楽園は完成間近とあるだけに、第三段階目の検査をクリアすれば本格的に、となるはずのところが違法性が見られると認められてしまったのだろう。最終段階目でようやく不備が認められたわけですが、それぞれの段階でその異常性は認められなかったのかが気になるところ。それぞれの段階で行われる建築確認では建築法に基いて検査されますが、その中でも中間検査に関しては特に重要な項目として認識されているのです。

阪神・淡路大震災の経験を元に

どの段階のチェック作業も非常に重要な段階になりますが、中でも中間検査に関してだけは念入りに行われているという。この理由が関西地方を襲った大震災である阪神・淡路大震災がそれに影響を及ぼしているという。それまで施工の不備が確認されないまま許可が通ったことで、安全性に欠けた建築物が次々と倒壊し、未曾有の大被害をもたらしたとされているのです。そのため、もし中間検査で入念な検査をしていれば、あそこまで被害が拡大することもなかったと言われているほどだ。

それはそれで穴だらけの、とにかく乱立して建てていけばいいという考えを持っていた先人たちの責任と言えます。法律は基本的に穴だらけですが、その象徴たる建造物が軒並み壊れていったがために、あれだけの災害になってしまった。今こんなことを言っても始まらないのですが、自分たちがこれでいいと見なしていたことを見直すため、中間検査という項目の重要性が説かれた。

つまりだ、90年代半ば以前は建築確認は三段階のチェックではなく二段階までしかなかったことになります。しかも相当簡単なチェックだったという点からしても、今回の事件は尚の事見逃せなさそうだ。

安全性を欠いた

こうして事態を第三者として、騒動を見ると色々と事情が深いのが見て取れる。それこそ近隣住民たちが再三指摘し続けてきた、傾斜地における建造物の安全面が確認できていない、という主張も正しかったのかもしれません。建築主にすれば確認したうえでの建築確認があるとして推し進め、区を味方につけることで住民の意見が届きにくくして、販売した事になります。

ただこうなると近隣住民だけでなく、購入者にも満足いく説明をしていなかったのではないだろうか。もしかしたら高値で取引しているからそのような事はありえない、といった何処から来たかも分からない自信があったのか。また購入者にしても、即完売しているところが逆に不自然にも思える。その頃は度々マンションの偽装問題などが多く出ていた時期だけに、少しくらい疑っても良かったのではないか。情報社会と呼ばれるだけあって、インターネットで簡単に調べればこうした情報は嘘か真実かに関わらず、多く検出されます。

購入者も住民説明会で見せた怒りの理由にも、得心が行った。そこから見て分かるのは、誰一人に対しても納得・理路整然とした説明をしないまま、販売して利益をあげようとしたという背景が必然と見えてきてしまいます。これではあちこちから糾弾されても企業側はかばいきれないでしょう。また行政にしても、不備があるとわかっていながらも問題を見逃して来た上に、実質的な被害者となる人々が多数出てきたことからも責任は重い。だが結局、それらの問題は棚上げされて有耶無耶にされそうだ。